「鏡花短編集」

2-237.jpg「鏡花短編集」を読みました。父の蔵書の1冊で硫酸紙のブックカバーがかかっています。もしかして、北大路駅を「烏丸車庫」と言ってた時代に北大路通りにあった文房具店「三星堂」で買った硫酸紙かも。9つの作品が収められていて泉鏡花の妖しく美しい世界を堪能しました。
最初は有名な「竜潭譚」。見渡す限り紅の躑躅(ツツジ)の花という極彩色な導入から鎮守の社を経て、少年が迷い込んだ夢ともうつつとも知れない世界。いわゆる「神隠し」を語ったもので、続く「薬草取」と共に幻想的な描写に魅了されます。他の作品にも躑躅が頻繁に出てくるなど植物に関する記述が多く、毒虫にやられて倒れたり、河童が出てきたりと動植物との接点が多かった頃ゆえに、今とは比べ物にならないほど魔物の遭遇話が身近だったのだと思ってみたり。面白かったのが「二、三羽---十二、三羽」。最初は自宅にやってくる雀を綴ったやや退屈な随筆かと思っていたら、後半かなりスリリングな展開に。暴風雨の後、訪れたはずの家が消えていた、という「雀のお宿」のような話。「暴風雨」には「あらし」とルビがふられていました。ちなみに「莞爾」と書いて「にっこり」と読むのを初めて知りました。余談ですが、泉鏡花といえば「神楽坂怪奇譚『棲』」、大好きな池田昌子さんの朗読が生で聴けるなんてすっごい貴重、日帰りで観に行こうかと思っていたのに、池田さん出演日は速攻で売り切れてました。しかし予告動画、観ただけで怪しそうです。
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「しずかな日々」&「るり姉」

2-203.jpg椰月美智子の「しずかな日々」を読みました。アマゾンの「ポプラの秋」の関連紹介にあって興味を持ったのでした。三島由紀夫とは対照的な「離乳食のような本」だけど、児童文学なので平易なのは当然ですね。母親と離れておじいさんの家で過ごすことになったぼくの小学校5年の新学期から夏休みを綴ったもので、波乱万丈ではなく「しずかな」だけど、それまで友達と無縁だった無口な少年が、押野君と友達になったことで一緒に自転車で知らない町まで工場を見に行ったり、友達が家に泊まりに来たり、寧ろワクワクする幸福な記憶を読者が共有する感じ。お調子者で人気がある押野君みたいな子っていたなぁ。それにしても、この作品にはいじめが全く出て来ない。「えだいち」という呼び名だって学級委員選挙で枝田君はたった1票だったからだし、運動神経ゼロで空き地で野球をしても全然ダメだけど、陰湿な嫌がらせや悪口を言われることなく、そのまんま受け入れられてるんですよね。

2-220.jpg「るり姉」も一緒に買ってみました。三姉妹が慕う母の妹「るり姉」と家族のことを綴っていて、高校生の長女さつきが夏、母のけい子がその春、次女のみやこが去年の冬、るり子の夫の開人が去年の秋、と各章ごとに話し手が変わり、最後の第五章は次女のみのりが4年後の春を語る流れ。1章でるり姉が入院し、4年後は・・と心配をしながら4章を読み進める訳ですが、湯本香樹実ならこうはないだろうなという結末。椰月美智子が楽観的な作家なのかも知れませんが、児童文学は読んで元気になるのが良いんでしょうね。余談ですが、椰月さんのTwitter小田急ブックメイツ新百合ヶ丘店の閉店のお知らせがリツイートされてました。行ったことはないけど、本屋さんの閉店はとても残念です。

「午後の曳航」

2-202.jpg首都圏の大雪に草津白根山の3000年ぶりの噴火。自然のスゴさを思い知らされますね。明日の京都は最高気温2度だって。思いやられます。
さて昨年ですが、三島由紀夫の「午後の曳航」を読みました。三島って10代の頃に「潮騒」を読んだような、漫画だけだったような・・・という今まで殆ど未読の作家だったけど、すっごいハマって楽しかった。久々に「本物の純文学」を読んだ気がする。マドロス演歌が流れてくる様な世俗的な設定を装いながら、格調高く完成度の高い文章。子供たちに潜む未熟さ故の残酷性を読む者に緊張を強いる流れで突きつけていく見事な構成。こういう作品を書く作家って今でいうと誰になるのかな? いないかも。 「現在のベストセラー本は『離乳食』と林修先生が言ったのも納得です。船乗りの竜二に憧れていた登にとって、母との結婚によって世俗的な陸の生活に馴染んでいく竜二は許しがたく、文庫本の裏表紙には「自分達の未来の姿を死刑に処すことで大人の世界に反撃する」と書かれています。昭和38年頃の横浜のエキゾチックさが、作品世界をより魅惑的なものにしていました。幼い頃に親に連れられて歩いた横浜って、まだこんな感じが残っていたなぁ・・・と。

「春秋の檻~獄医立花登手控え(一)」

2-171.jpg5日から配信が始まった「DEVILMAN crybaby」のCMが登場、ナレーションを田中亮一さんが担当していて、テンション上がりました。(本編は多分見ないけど・・・) 亮一さんといえば、こんなツイートも。当時の亮一さんの授業、受けてみたかったです。
さて、年に最低一冊は読みたい藤沢周平の時代小説、昨年は「春秋の檻」を読みました。何だか腐女子向けの陵辱小説みたいなタイトルだね、と思ったけど、7つの短編からなる連作はどれも人情味あふれる良質な娯楽作品でした。主人公の立花登は牢獄に勤める青年医師。叔父の様な立派な医者になりたいとの志を抱いて江戸に出てきたのに、叔父はどうもやる気が感じられないし、居候先の年下の娘に呼び捨てにされたり、こき使われたり、正義感が強い主人公タイプながら、いまいち颯爽としてないところが良いですね。大好きな「用心棒日月抄」と共通する設定もあって、細谷の様な存在が柔道仲間の新谷弥助。今後もこのシリーズに出てくるんでしょうね。立花が獄中で出会った囚人たちの人間模様にジーンとしたり、7作目「牢破り」で叔父の娘のおちえが誘拐されてハラハラしたりで楽しめました。藤沢氏が江戸時代の医学史や経済関係の資料をとても深く読み込んでいるという佐藤雅美の解説も興味深い。シリーズ2作目も楽しみです。

「ポプラの秋」

2-158.jpg高台寺の夜間拝観に続いて、週末は嵐山花灯路に行きました。帰りのJRの中から真っ赤な京都タワーが見えていたんですが、京都駅に着くとタワーの半分は緑色。クリスマスカラーだった様です。
先月、湯本香樹実の「ポプラの秋」を読みました。父を亡くした千秋と母が見知らぬ駅で郊外電車を降り、駅前商店街を抜けていくと住宅街の屋根の間から高い木が飛び出していて、高いところの葉っぱが風もないのにゆさゆさ揺れていた、その光景が目に浮かぶよう。庭にその木があることから「ポプラ荘」と呼ばれるアパートに引っ越した千秋と大家のおばあさん、アパートの住人との交流。天国に手紙を届けるというおばあさんの言葉を信じて、父に手紙を書き続ける千秋。

2-160.jpg湯本香樹実の作品は代表作「夏の庭」をはじめ子供と老人の交流、死の予感が繰り返し描かれていて、「夏の庭」や「西日の町」は好きだったけど、「岸辺の旅」は重くて苦手でした。この作家はやっぱり「夏の庭」が頂点だなと思っていたんですが、「ポプラの秋」はそれをこえるくらい好きな作品でした。とにかく昭和らしい風景と登場人物が懐かしく愛おしい。作家の年齢差もあると思いますが、母子と周囲の人を描いた「漁港の肉子ちゃん」とは明らかに違うテイストです。ポプラ荘なんて名前の、日に焼けた畳や外に洗濯機が置かれたアパートがありそうな時代に子供時代を送った者には、こうした世界がもはや遠い記憶になりつつあること、平成から次の厳しい時代を生きていかねばならない、身近な人たちと別れて前に進まねばならない覚悟と相まって、妙に心に残る一冊となりました。

「つゆのあとさき」

2-144.jpg季節外れなタイトルですが、永井荷風の「つゆのあとさき」を読みました。谷崎が絶賛した作品なので、谷崎で卒論を書いたモモ母としては学生時代に読んでおくべき作品なんですが、読んだのはこれが初めてです。
銀座のカフェーで女給として働く君江やパトロンの作家清岡や妻の鶴子、君江を取り巻く男性たちを通して1930年代の東京の風俗を描いたもの。ドンフワン、アルプスといったいかにもそれらしいカフェーの名前や茶の間にあった「到来物の羊羹」、入梅の空に「仁丹の広告」など、何気ない言葉が、今、読むと新鮮。到来物なんて言い方、久々に読んだ気がする。「急がないでもよう御座います」ってのも、いかにも東京人。下北沢のマンションの大家さんがこんな物言いしてたっけ・・と本編と関係ないところに反応しながら読んでいました。君江に嫌がらせをする清岡は今でいうストーカーみたいだったり、華やかさの裏に刹那的な欲望があったりで、「つゆのあとさき」という爽やかさなタイトルとは印象が違うと思ったら、当初は「夏の草」という仮題をつけていたそうです。この文庫本は父のもので、家には父の蔵書が山の様にあるけど、とても読みきれないし、荷風の作品を学生時代に読んでいた友人達とも読書量に雲泥の差がある訳で、今からどのくらいの本が読めるんだろうか、本だけでなく観た映画も読んだ漫画も圧倒的に少ない自分のキャパの少なさを思い知るこの頃です。読書と学力の関係について、「読書をしたから学力が高くなったのではなく、学力が高い子が本を読んでいるという可能性がある」と中室牧子さんが初耳学で解説してたのに、なるほど・・と目からウロコだったんですが、あの言葉に妙に納得する今日この頃です。

「理由」

2-119.jpg宮部みゆきの「理由」を読みました。読み出してすぐ、これは「火車」と並ぶ読み応えのある作品だなと思い、読み進むと更にその思いを強くしました。荒川区の超高層マンションの1室で起きた殺人事件を取材スタイルで描いた直木賞受賞作。当初は2025号室を所有する小糸家が犠牲になったと思われたのが、小糸一家は妻の実家にいて無事。いつの間にか小糸家に代わって2025号室に住み、犠牲になった4人は家族だと周囲に見られていたのに、実はみんな赤の他人。早い段階で「あの人を突き落とした」と告白するのは10代の未婚の母。話の展開を追うだけでも、読み応えがありました。
それ以上に宮部みゆきの力を感じさせるのが、その手法。事件には目撃者、マンションの住人や管理人、不動産関係者、容疑者とその家族、犠牲者とその家族、2025号室所有者の親族や幼なじみ等、かなりの数の人が関わっていて、それぞれが仕事をしたり通学したり、家族ともめたり、家の事情を抱えたりして日常生活を営んでいる。その背景をインタビューやドキュメンタリー風に丁寧に描いているので、リアリティがあります。容疑者が滞在していた簡易旅館「片倉ハウス」を経営する一家の娘が交番にやってくるという、事件から遠い人達の描写から始まる冒頭も見事。事件と無関係の片倉家の事情もよくわかります。「火車」がカード破産を描いたのに対し、「理由」の鍵になっていたのが占有屋。不動産競売物件に居座って、落札者に立ち退き料を要求する占有屋の存在を初めて知りました。無理して高額なマンションを買った夫婦の離婚、そびえ立つ超高層マンションが虚栄心の象徴の様にも思え、現代社会の歪みや幸せとは何かをも考えさせられる力作でした。

「虹の谷のアン」

2-099.jpgほらほら、危惧してた極右大連立の可能性を指摘する声、最悪の事態を恐れる声がチラホラ。中島岳志さんのこんな怖いツイートもあって、今年の流行語大賞は「国難去ってまた国難」だったりして。
さて、アンブックスのレビューを書こうと思っていたら、神谷明さんが槐柳二さんの訃報を伝えるツイート。槐さんといえば有名なレレレのおじさんよりも、モモ母は「赤毛のアン」のマシュウ役が好きでした。ご冥福をお祈りします。そのアニメや絵本でしかいらないアンをちゃんと読んでみようと年に一冊くらいのペースで読み続け、今年は「虹の谷のアン」を読みました。設定ではアンももう41歳。この作品ではアンもアンの家族も脇役で、話の中心は牧師館の子供達。途中で孤児のメアリーも乱入して、様々な騒ぎを起こしていきます。フェイスが可愛がっていた鶏のアダムが隣町から来た牧師をおもてなす為にしめられたり、自らへの罰として断食をして幼いユナが倒れてしまったり、やはり子供がメインの方が生き生きとして、「炉辺荘のアン」よりもずっと楽しく読めました。大人たちは狭いコミュニティで噂話に花を咲かせ、物語の世界として読むのは良いけど、住むのはちょっとなぁと思う。でもどうやらこうした平和で牧歌的な話はこの作品までの様で、次作では第一次世界大戦下でアン一家の男たちも戦地に赴くとか。それはまた来年以降に読むつもりです。

「漁港の肉子ちゃん」

2-082.jpg11日で今の京都駅ビルが開業して、もう20年だそうです。尖閣諸島が国有化されて5年、アメリカ同時多発テロから16年、そして父の87歳の誕生日でもありました。
西加奈子の「漁港の肉子ちゃん」を読みました。個性的な表紙。元テレビディレクターOさんに頂かなかったら知らなかったし、西加奈子って「蛇にピアス」の人だっけ?(いや、それは金原ひとみ)と思いながら読み始めました。悪い男に騙されて来た通称・肉子ちゃんは、まん丸に太った北の港町の焼肉屋で働く明るい38歳。作品は娘のキクりんの目を通して語られるスタイル。地方都市特有のコミュニティの温かさと、その一方で早く大人になって街から出たいという鬱陶しさも抱く聡明で多感なキクりんの語りが、肉子ちゃんや焼肉屋の主人サッサン、白亜の豪邸に住むマリアちゃん、すぐ変な顔をする二宮などの同級生を生き生きと描き出しています。起承転結とかヤマ場とかいうのがなく、小さなエピソードを重ねて淡々と肉子ちゃん母娘の暮らしが綴られて行くのは、今どきの小説ですね。まぁ昭和のヒーロー、ヒロインみたいな劇的な人生を歩む人はごくわずかで、大多数の人生ってそういうものですね。平凡な暮らしの中で肉子ちゃんはどんどん太り続け、キクりんは日々成長して、今の自分はもう二度と現れることはない。作品は作者が宮城県石巻市に一泊旅行をしたのがきかっけで生まれたそうで、人だけでなく街もずっと同じ形でいられないことを東日本大震災で痛感したと石巻に同行した日野淳は解説で書いています。いつかこの世から消えていくとしても、思いや「ここにいた」瞬間を残すことは出来る、それが小説を書くことではないかと作者は言います。作中、キクりん以外の「私」が語る場面が2回あり、1つはキクりんが生まれる時のこと。もう1つが水族館にいるペンギンのカンコちゃんの独白。遠い海から日本に連れて来られたカンコちゃんが語る数ページが、何故だか印象に残っています。

「むかしのはなし」

2-063.jpg20日のNスペ「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」も面白かった。終戦からの1年間、戦後ゼロ年の東京を写した貴重な映像に山田孝之が入り込むドラマ仕立てのドキュメンタリー。今のデジタル技術ってこんな演出が出来るんですね。なんか浅田次郎の「地下鉄に乗って」を思い出すと思ったけど、菅野さんは「種本は『敗北を抱きしめて』だな」とツイート。なるほど、初めて知りました。読んでみようかな。(ちなみに「踊る宗教」北村サヨに関連して菅野さんがこんなツイートも。サヨさんは安倍さんも敬ってるそうです。)
そう言えば、カフェ読書の記事を長く書いてないので、日曜に読了した三浦しをんの「むかしのはなし」のレビューを。「かぐや姫」や「桃太郎」などの日本昔話の概略を冒頭に記した7つの物語。父親の一族の男達はみな短命だという「ラブレス」や叔父との恋を語る16歳の少女の告白「ディスタンス」など、それぞれが独立した作品だと思ったら、「入江は緑」で3ケ月後に隕石が地球にぶつかることが発表され、その後の作品で描かれるのは地球に残った人だったり、ロケットで脱出した人だったり、あ、連作か・・と漸く気づく。日記や取り調べ調書等、形式もバラバラ。でも、「ロケットの思い出」で犬のロケットが川から流れてきたエピソードがあると思ったら、「たどりつくまで」のタクシードライバーが子供の頃、子犬をダンボールに入れて川に流した経験があったり。表現や組立に作家の貪欲な姿勢が見えて、さすがと思わせる小説集に仕上がってました。特に好きだったのが空き巣犯が語る「ロケットの思い出」とモモちゃんを裏切って脱出ロケットに乗った「僕」が語る「懐かしき川べりの町の物語せよ」。最終話「懐かしき・・」の「途方もない孤独感と、だけどかすかに存在するひりつくような連帯感」は犬のロケットの命日には晩飯を食べないという「俺」や他の作品にも共通していて、それ故に、どの昔の話も未来を生きる者の心に残る様です。
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